こんにちは!
はしもと接骨院スタッフの高橋です!
今から6年前の3月11日に「東日本大震災」ありました。
この震災では多くの方の犠牲がでて、その他にも多くの被害を出しました。
当時、僕は高校2年生で修学旅行を間近に控えていてその修学旅行を楽しみにしていました。
震災当日、部活に向かう直前のことでした。家にいた僕に襲ってきたのは大きな揺れ。
住んでいたマンションはとてつもなく大きく揺れ、窓ガラスが歪み割れるのではないかと思ったほどでした。
僕は「すごい地震だ」と感じるくらいでそのまま部活に行きました。
学校に着くなり部活のある生徒は剣道場に全員集合させられ自宅待機と告げられ僕は家に帰宅しました。
帰った僕はテレビをつけて初めてそこで震災の規模の大きさを知りました。
画面に映った光景は今でも目に焼き付いています。
僕の祖父母は岩手県釜石市に住んでおり津波の被害にあった場所です。
僕はとてつもない不安に襲われ、繋がりもしない電話に、涙をこらえながら
何度も何度も電話をかけたのを覚えています。
その時に何か大切な人を失う恐さというものを知りました。
翌日から、釜石市の津波の映像がテレビに流され僕の見たことのある景色が波に飲まれていました。
ただ、ただ祖父母の無事を祈るばかりでした。
震災から1週間後、釜石から一通の手紙が届きました。
祖父母からの無事を知らせる手紙。
重くのしかかっていた不安はスーッとどこか遠くに消えていく感じがあったのを覚えています。
それから何年か経ち、釜石へ行ったとき色々な話を聞きました。
そして、今の釜石の光景を見たときに僕はどこまでが「復興」といえるのだろうか、
今、目に映る光景は「復興」しているといえるのだろうか。
そんな感情を抱いたのを覚えています。
ただ、わかっているのは多くの方が犠牲になり、悲しんだということ。
津波に飲まれたときに止まった時計
僕は10年後、災害支援団体をつくる夢があります。
ひとりでも悲しい思いをさせたくない
当時僕が抱いた感情は今でも心の中に染みついています。
最後に、東日本大震災で犠牲になられた方の
ご冥福をお祈り申し上げます。